この写真は弊社に残る大正末期、昭和初期~30年代前半頃までのものです。

中央の和服姿の男性が「島七五郎」。わたしの曽祖父、名前の「七」をとって屋号としました。その右後ろが祖父「房太郎」。

大正14年、工場内製茶風景。右後方、前掛けかけた子供が私の父「恭一」。

昭和3年、初荷出荷風景。弊社荷物だけでなく、他社の荷物もまとめて鉄道馬車で出荷されました。
宅配便など存在しない時代です。初荷、新茶とか時節にまとめて大量出荷していました。

中央の白い服の子供が私の父です。昭和12年頃と思われます。おそらく新茶の出荷風景でしょう。

昭和20年代の初荷出荷風景。茶箱に「初荷」のラベルが貼られています。余談ですが後ろの大きな屋根の建物は遊郭です。
その奥にもう一軒遊郭がありました。

三輪オート?バイク?

茶箱に書かれた正味は「6500匁」(もんめ)。およそ25㎏入っているでしょう。

工場の南入り口前に置かれた初荷。

昭和33年以降の茶出荷風景。
茶箱でなく、紙袋も茶を入れる容器として用います。これを「大海」(だいかい)と呼びます。通常のお茶ではこの袋1本で40㎏ですが
この写真のものは「番茶」と思われ、30kg程度でしょう。後ろのトラック、完全に車載オーバーです。おおらかな時代でした。

同じ風景、おそらくダットサンのピックアップがクラシックMINIにそっくりです。